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<title>故事成語の意味</title>
<link>http://wiki.fx-com.com/</link>
<description>故事成語の意味と故事成語の用法を辞書形式で紹介します</description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2008</copyright>
<lastBuildDate>Thu, 29 Oct 2020 23:20:13 +0900</lastBuildDate>

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<title>故事成語とは</title>
<description><![CDATA[中国の古典に由来して、昔から伝わってきたものを故事と呼びます。そして、その故事を元にした慣用句を故事成語と呼びます。
<br /><br /><br />
故事成語は日本に伝わり、ことわざとして定着しているものもありますね。
<br /><br />
故事成語には、ある種の教訓が含まれているために、教育の現場やビジネスなどで用いられるケースが多いと言われています。
<br /><br /><br />
日本ですと、「背水の陣」など、いろいろな場面で用いられています。
<br /><br />
故事成句（こじせいく）とも言われます。
<br /><br /><br />
ちなみに、中国の地図はこちら<br />
<iframe width="500" height="500" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;time=&amp;date=&amp;ttype=&amp;q=%E4%B8%87%E9%87%8C%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%9F%8E&amp;sll=33.613732,117.668369&amp;sspn=66.114201,92.109375&amp;ie=UTF8&amp;t=h&amp;om=1&amp;ll=33.613732,117.668369&amp;spn=66.114201,92.109375&amp;output=embed&amp;s=AARTsJrUKUGMZgpt8d-Mub_pQaKW31dtlA"></iframe><br /><small><a href="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;time=&amp;date=&amp;ttype=&amp;q=%E4%B8%87%E9%87%8C%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%9F%8E&amp;sll=33.613732,117.668369&amp;sspn=66.114201,92.109375&amp;ie=UTF8&amp;t=h&amp;om=1&amp;ll=33.613732,117.668369&amp;spn=66.114201,92.109375&amp;source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">拡大地図を表示</a></small>
<br /><br />
受験や入試でも故事成語の出題率は高いですよね。受験勉強用のサイトではありませんが、みなさんのお役に立てれば、と思っています。]]></description>
<link>http://wiki.fx-com.com/2020/10/post.html</link>
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<pubDate>Thu, 29 Oct 2020 23:20:13 +0900</pubDate>
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<title>老子と故事成語</title>
<description><![CDATA[故事成語についても、老子から引用されたり、老子を由来とすることわざも多いと言われています。
<br /><br />
老子は、中国の春秋時代の思想家で、日本でも、フィクション・ノンフィクション問わず有名ですよね。
<br /><br /><br />
<img alt="老子" src="http://wiki.fx-com.com/Lao_Tzu_-_Project_Gutenberg_eText_15250.jpg" width="361" height="512" />
<br /><br /><br />
老子は有名ではありますが、不明な部分が多く、実在の人物ではなく思想家たちが作り上げた人物にすぎない、という意見もあります(それが事実かどうかは、私には分かりません)。
<br /><br />
老子については、それだけで一つのサイトを作ることができるくらい情報量が多いのですが、ここでは故事成語の意味を説明する必要のある場面だけふれることになると思われますので、ご了承くださいませ。]]></description>
<link>http://wiki.fx-com.com/2008/11/post_14.html</link>
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<pubDate>Tue, 11 Nov 2008 20:25:01 +0900</pubDate>
</item>
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<title>渇すれども盗泉の水は飲まず</title>
<description><![CDATA[渇すれども盗泉の水は飲まずというのは、孔子の有名な言葉です。
<br /><br />

しかし、収録されているのが論語ではありません。
<br /><br />

「陸機」の中の『猛虎行』に収められている故事です。
<br /><br />


この故事の由来になった話は以下のようなものです。
<br /><br />

盗泉というのは中国山西省泗水県にある泉の名前です。
<br /><br />
四川省の地図
<iframe width="425" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.com/maps?hl=ja&amp;client=safari&amp;q=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%80%80%E5%9B%9B%E5%B7%9D&amp;lr=&amp;ie=UTF8&amp;ll=32.268555,104.018555&amp;spn=9.078529,14.941406&amp;z=6&amp;output=embed&amp;s=AARTsJpkWYuhKmNgeM6fVt1Gm5P5mhKVbw"></iframe><br /><small><a href="http://maps.google.com/maps?hl=ja&amp;client=safari&amp;q=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%80%80%E5%9B%9B%E5%B7%9D&amp;lr=&amp;ie=UTF8&amp;ll=32.268555,104.018555&amp;spn=9.078529,14.941406&amp;z=6&amp;source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">大きな地図で見る</a></small><br /><br />

孔子がその場所を通ったときにその名を嫌って飲まなかったという故事に由来する言葉です。
<br /><br />

原文では「渇不飲盗泉之水」となります。
<br /><br />


たとえ喉が渇いていようとも、この泉は名前が悪いからここの水は飲まない。
<br /><br />

なんとも孔子様らしい考え方だと思いませんか。]]></description>
<link>http://wiki.fx-com.com/2008/02/post_47.html</link>
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<pubDate>Thu, 14 Feb 2008 06:38:32 +0900</pubDate>
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<title>瓜田に靴を入れず</title>
<description><![CDATA[瓜田不納覆（かでんにくつをいれず）が元の文。<br /><br /><br />


もともとは「靴」ではなくて「覆」と書いた。「覆」も靴の意味である。<br /><br /><br />


瓜田に靴を入れずとは「疑われやすい言動は避けた方がよい」という意味で使われる。<br /><br /><br />


瓜畑では、靴が脱げても、瓜盗人だと思われないために、うつむいて靴を拾い取ってはいけない。<br /><br /><br />


人に疑われるようなことはするなというたとえ話です。<br /><br /><br />


一説には、「くつにいれず」と読み、「はきなおさない」と訳すこともあるそうです。<br /><br /><br />


同じような故事に「李下不正冠（りかに冠をたださず）」といものもあります。<br /><br /><br />


これは、すももの木の下で冠を直すと（冠にさわったりすると）、すももどろぼうだと思われるから、疑われるようなことはしないほうがよいという意味で使われ、瓜田不納覆（かでんにくつをいれず）と同義で使われます。]]></description>
<link>http://wiki.fx-com.com/2008/02/post_46.html</link>
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<pubDate>Wed, 06 Feb 2008 00:24:14 +0900</pubDate>
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<title>蛍雪の功</title>
<description><![CDATA[文部省唱歌として有名な蛍の光という歌の詩は、蛍雪の功という故事から作られたものであることは有名です。<br /><br /><br />



蛍雪の功という故事は、「苦学した成果」「熱心に学んだ成果」という意味で使われます。<br /><br /><br />


晋の時代、車胤（しゃいん）は幼年時代からまじめに勉強や読書をし、またそれらが大好きでしたが、家が貧しくて夜灯りにするするための灯油が買えませんでした。<br /><br /><br />


そこで、夏は絹の袋に蛍をつかまえて入れ、その明かりでよるも読書や勉強に没頭し、ついに官吏として立身出世をしました。<br /><br /><br />


同じように、家が貧しくて灯油が買えない孫康（そんこう）は、窓辺の雪明かりで読書に励み、検察庁官に出世しました。<br /><br /><br />


これらの故事から蛍雪の功という言葉が生まれました。<br /><br /><br />


苦学して勉学に励むということで、一昔前までは卒業式に歌われる歌として有名でしたが、最近は「仰げばとうとし」の方がよく歌われるようです。<br /><br /><br />


また、蛍の光という歌の歌詞は蛍雪の功という故事からつけられたものですが、メロディーの方はポルトガル民謡が使われています。]]></description>
<link>http://wiki.fx-com.com/2008/02/post_45.html</link>
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<pubDate>Tue, 05 Feb 2008 04:20:19 +0900</pubDate>
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<title>抜山蓋世</title>
<description><![CDATA[抜山蓋世（ばつざんがいせい）とは力がきわめて強く、気力が盛んなことをあらわす故事です。<br /><br /><br />


この故事は、項羽が、垓下において劉邦の漢軍に幾重にも包囲されて、楚の国の歌を歌われて（ここからできた故事が四面楚歌）結果的にだまされる形で、項羽は命運が尽きたと覚悟したときに歌った詩からできたことばです。<br /><br /><br />



項羽が涙ながらに歌う詩を、味方の兵士たちはみな涙を流しながら聞き、項羽の愛人であった虞美人も結局は自害しました。<br /><br /><br />



項羽が歌った詩は「垓下歌（がいかのうた）」と言います。<br /><br /><br />



垓下歌
力抜山兮氣蓋世　　時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何　　虞兮虞兮奈若何<br /><br /><br />



訳
わが力は山をも引き抜き、意気は一世を覆い尽くすほどであった。
ところが時勢が変わって不利となり、愛馬の騅も進もうとはしない。
騅が進まなければどうしようもない。
虞よ虞よ、そなたをどうしたらよかろうか。<br /><br /><br />



ちなみにこの詩から発想を得て、夏目漱石は「虞美人草」という作品を書きました。]]></description>
<link>http://wiki.fx-com.com/2008/02/post_44.html</link>
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<pubDate>Sun, 03 Feb 2008 01:28:03 +0900</pubDate>
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<title>覆水盆に返らず</title>
<description><![CDATA[覆水盆に返らずといった意味のことわざは西洋にもあり、英語ではIt is of no use crying over spilt milk.となります。意味は「こぼしたミルクのことを泣き叫んでも意味はない」といった感じでしょうか。<br /><br /><br />


さて、この覆水盆に返らずという故事はかの有名な軍師太公望にまつわる話です。<br /><br /><br />


ちなみに太公望というのは、「太公」が待ち「望」んだ人間という意味です。<br /><br /><br />


その太公望の名前は呂尚（姜族の出身なので姜子牙ともいわれます）。この呂尚ですが、周の文王に見いだされるまでは、いわゆる晴耕雨読の生活をしていたようです。<br /><br /><br />


ですが、あまりにも本ばかりを読んでいるので、妻はそんな呂尚に愛想を尽かし、家を出て行ってしまいます。つまり、呂尚は奥さんに逃げられてしまったわけですね。<br /><br /><br />


ですが、嚢中の錐と申しますように、才能の秀でた人間というのはやはりどこかで見いだされるもののようです。<br /><br /><br />


周王朝の基礎を築いた文王が狩りに出かけたところ、老人が川縁で釣り糸をたれているのに出くわします。<br /><br /><br />


興味を引かれた文王が老人と言葉をかわしてみると、これが大変な賢人であることが分かりました。<br /><br /><br />


文王はかねて太公（父の別称）が「聖人が現れて周を興してくれるだろう」と言って待ち望んだ人に違いないとして、太公望と名付け、軍師（総司令官）に迎えました。（これが「太公望」の故事の由来）<br /><br /><br />


ですから、呂尚は大変な出世をしたわけです。<br /><br /><br />


そうすると、ちょっと甘い夢を見たがるのが女性ですね（笑）<br /><br /><br />


むかしは本ばかり読んでいるグータラ亭主だと思っていたから、家を出たのに、そのグータラ亭主が軍師に抜擢されるという大出世をとげたわけですから、出て行った妻としてはよりを戻したいわけです。<br /><br /><br />


それどころか、呂尚は周の武王をたすけて殷王朝を討った功により、斉の王に任命されます。<br /><br /><br />


「ここで復縁できれば玉の輿！！」と思ったかどうかは分かりませんが（きっと思ったでしょう）、元妻は呂尚に復縁を申し出ます。<br /><br /><br />


すると、そうは問屋が卸さないというばかり、呂尚は水の入った盆を傾けて水をこぼし、それを元通りにしたら希望に応じようと言ったのでした。<br /><br /><br />


この出来事から「覆水盆に返らず」という故事ができたということです。<br /><br /><br />


ちなみに、封神演義という小説はフィクションです。また、それを漫画化した藤崎竜二氏の
「封神演義」という漫画もありますが、これはかなりスゴいです。<br /><br /><br />


封神演義に登場する人物及び仙人（呂尚も仙人に区別されている）は時代なんて関係なく出てきますので、これは究極の娯楽小説といえるでしょう。<br /><br /><br />


藤崎竜二氏のマンガを読んで、「ああ、これが太公望なんだな」なんて思わないでください。あんなにかわいい坊やなわけがありません。（多分。でもマンガとしてはものすごくおもしろいです）]]></description>
<link>http://wiki.fx-com.com/2008/01/post_43.html</link>
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<pubDate>Mon, 28 Jan 2008 00:40:11 +0900</pubDate>
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<title>会稽の恥と臥薪嘗胆</title>
<description><![CDATA[春秋時代、諸候は互いに争い天下を取ろうとしていたが、中でも呉と越は代々対立が続いており、出兵を何度も繰り返していた。<br /><br /><br />


ところがある戦いで、呉王は敗死することになる。<br /><br /><br />


その子供夫差は、いつも薪の中に寝て（臥薪）父の仇を忘れないようにして、ついに会稽山で越王勾践（句践と書くこともある）を降伏させた。<br /><br /><br />


勾践は不差に「私はあなたの部下となります。私の妻はあなたの下女にさせてください」と、たいへん屈辱的な思いをしながら、命乞いをしたのである。<br /><br /><br />


この不差に対する勾践の屈辱的な命乞いの故事からできたのが「会稽の恥」という言葉である。敗戦の屈辱という意味で使われる言葉である。（『十八史略』）<br /><br /><br />


しかし、話はこれでは終わらない。<br /><br /><br />


その後、勾践は許されて帰国することができたが、いつも苦い胆（きも）を部屋にかけておき、それを嘗めて（嘗胆）「会稽の恥」を忘れないようにして夫差に対する復讐心をかき立てていた。<br /><br /><br />


そして十年あまりの長い年月をかけて国力をつけ、兵を訓練した勾践は、ついに夫差を雪辱をとげ（この故事から「恥辱をすすぐ」という言葉ができた）、夫差を自害させるに至る。（『史記』越世家）<br /><br /><br />


夫差が父の仇を忘れないように薪の中に寝たという「臥薪」と、勾践が会稽の恥を忘れないように胆をなめていたという「嘗胆」をあわせて「臥薪嘗胆」という言葉ができたのである。<br /><br /><br />


臥薪嘗胆は「復讐しようと苦労すること」あるいは「成功するためにあらゆる苦難に耐えること」という意味で使われる故事成語である。<br /><br /><br />]]></description>
<link>http://wiki.fx-com.com/2008/01/post_42.html</link>
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<pubDate>Tue, 15 Jan 2008 06:45:17 +0900</pubDate>
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<title>泣いて馬謖を斬る</title>
<description><![CDATA[三国時代の蜀の国の出来事からできたことばです。<br /><br /><br />


三国志時代、蜀の国の劉備元徳に仕えた諸葛（亮）孔明は、劉備なき後は劉備の息子である劉禅（幼名は阿斗→ちなみに阿斗という名前が付けられた由来については、劉禅を生んだ甘夫人が、劉禅を出産する前に北斗七星を飲み込む夢を見たからだという説や、柄杓のように頭が大きかったからだという説がある。北斗七星も柄杓も漢字では「斗」である。阿は「○○ちゃん」という意味）に宰相として仕えるのですが、そのときもっとも信頼していた部下が馬謖でした。<br /><br /><br />


国力が充実するのを待って、中原（黄河の中・下流域）の魏を討ちに出るのだが、そのとき諸葛孔明が指揮を任せたのが馬謖です。<br /><br /><br />



しかし、馬謖が諸葛孔明の指示通りのことをしないので大敗してしまいます。<br /><br /><br />


馬謖を愛していた孔明ですが、軍律を維持するために、泣く泣く馬謖を処刑し、その家族のことは手厚く世話したという故事からできたのが、泣いて馬謖を斬るという故事成語です。<br /><br /><br />


つまり「泣いて馬謖を斬る」とは、規律を守るために、愛する物をやむを得ず処分するという意味で使われることばです。<br /><br /><br />


馬謖を斬ったときに諸葛孔明が泣いた理由は以上のように解されるのが普通ですが、自分の部下があまりにもふがいないので情けなくて泣いたのだという捉え方をしているひともいます。<br /><br /><br />


いずれにしろ、孔明はいろいろな意味で悲しく口惜しかったことでしょう。]]></description>
<link>http://wiki.fx-com.com/2008/01/post_41.html</link>
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<pubDate>Thu, 10 Jan 2008 02:16:52 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>七歩の才</title>
<description><![CDATA[三国の雄の一国であった魏の曹操の長子が曹丕である。<br /><br />

曹丕は後漢の献帝を倒して文字通り天子になったわけだが、ひとり弟の曹植のことを憎んでいた。<br /><br />


というのも、ふたりとも文才があり、詩を作るのはうまかったのだが、比べるとどうしても曹植に及ばなかったからである。<br /><br />


それをねたんで、機会あらば亡き者にしてやろうと思っていた。<br /><br />


曹丕（文帝）はあるとき、七歩歩むうちに詩を作らなければ法に従って処罰するという難題を曹植に言い放つ。<br /><br />


そのときに弟の曹植が作ったのが下の詩である。<br /><br />


煮豆持作羹（豆を煮て持って羹となし）
漉菽取作汁（菽＝まめを漉して以て汁と為す）
豆殻在釜下然（豆がらは釜下に在りて燃え）
豆在釜中泣（豆は釜中に在りて泣く）
本自同根生（本是同根より生ず）
相煮何太急（相煮ること何ぞはなはだ急なる）<br /><br />


原文訳
豆を煮て、それでスープを作り、
大豆を漉して、それで汁を作ろうとする。
豆がらは釜の下で燃え、
豆は釜の中で熱い熱いと泣いている。
もともと豆も豆がらも同じ根から生まれたものなのに、
なぜこうもひどく私を煮つめるのか。<br /><br /><br />


すると曹植（当時は東阿の王と呼ばれた）は、このような詩をたちどころに作ったという逸話から出たのが、七歩の才という故事である。詩を作る才能に優れており、しかも早いことという意味である。<br /><br />


ちなみに、曹植が詠んだ詩からは「豆がらで豆を煮る」という故事ができた。これは兄弟の醜い争いという意味である。<br /><br />


まったくの余談だが、曹操が自分の後を次がせたかったのは、実は曹丕でも曹植でもなく、夭折した長子（生きていれば曹丕よりも年上の子）である曹沖であったという話も残っている。<br /><br />


曹沖は幼いとき、アルキメデスの原理を用いて（もちろんアルキメデスの原理などという言葉はなかっただろうが）象の重さを測ったという逸話が残っているほど聡明な子供だった。]]></description>
<link>http://wiki.fx-com.com/2008/01/post_40.html</link>
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<pubDate>Sun, 06 Jan 2008 22:49:06 +0900</pubDate>
</item>
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<title>推敲</title>
<description><![CDATA[中唐の詩人として有名な賈島（かとう）が科挙を受験するために長安にやってきたときのこと。<br /><br /><br />


とっさに「僧は門を推す月下の門」という一句が浮かんだが、「推す」よりも「敲く（たたく）」の方がよさそうに思い、あれこれと思案し夢中になっていたので、うっかりと長安市長である韓愈（韓愈も有名な詩人である）の行列の中にろばを乗り入れてしまった。<br /><br /><br />


これはたいへんな無礼な行為にあたり、罰せられても致し方ないことであった。<br /><br /><br />


だが、そこで賈島はことの次第を説明し謝罪したところ、韓愈は無礼をとがめることもなく「敲のほうがよい」と助言し、ふたりは道々詩を論じ合ったという逸話に由来する故事である。<br /><br /><br />


詩や文章の字句や内容をよく練り上げるという意味で使われる言葉である。]]></description>
<link>http://wiki.fx-com.com/2008/01/post_39.html</link>
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<pubDate>Thu, 03 Jan 2008 18:23:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>管鮑の交わり</title>
<description><![CDATA[春秋の五覇のひとつであった斉の国の桓公に仕えた名臣として有名な管仲の若い頃の逸話である。<br /><br /><br />


管仲が親友の鮑叔牙と商売を始めたところ、管仲はもうけを多く取っただけではなく、商売自体を左前にしてしまった。<br /><br /><br />


また、彼は戦いに三度出たが、三度とも逃げ走ってしまったこともあった。<br /><br /><br />


だが、鮑叔牙は少しも管仲を軽蔑することなく、うらんだりもしなかった。<br /><br /><br />


鮑叔牙は「暮らしのまずしさがそうさせたのだ。時勢に悪いときもある。年老いた母親のことを思えば逃げざるを得ない」と鮑叔牙の行為を理解したのだった。<br /><br /><br />


これがもとで、管仲と鮑叔牙のふたりはますます親密になったという話から出た故事である。<br /><br /><br />


ゆえに管鮑の交わりという言葉はきわめて親しい交わりという意味で使われる。]]></description>
<link>http://wiki.fx-com.com/2008/01/post_38.html</link>
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<pubDate>Thu, 03 Jan 2008 17:50:44 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>虎穴に入らずんば虎子を得ず</title>
<description><![CDATA[後漢の第二代皇帝のとき、再いき諸国との和親をはかるために使者を赴かせることになった。<br /><br /><br />


その使者として選ばれたのが「漢書」を著した班固の弟である班超だった。<br /><br /><br />


漢王朝は、西域諸国と同盟を結ぶことによって、匈奴に対する防備を固める必要に迫られていたという事情があった。<br /><br /><br />


班超はまず、東の漢と北の匈奴にはさまれて窮地に陥っていた桜蘭王国を訪れると、国王は班超一行を多いに礼遇したのだが、匈奴の使者の来訪を知るや否や、突如として手のひらを返すような態度に出た。<br /><br /><br />


そこで班超は「虎のすむ洞穴に入っていかなければ、貴重な虎の子（この場合は西域諸国のこと）を手に入れることはできない」という意味のことわざを引き合いに出して、班超の随員たちを励ました。<br /><br /><br />


その結果、夜陰に乗じて匈奴の使者の陣営を急襲して一気に全滅させることに成功した。<br /><br /><br />


こうして結局桜蘭は漢との同盟を受け入れたのである。<br /><br /><br />


このようなことから「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という故事成語は、危険を冒さなければ、大きな功績はあげられない（大きな利益は得られない）という意味で使われるようになった。]]></description>
<link>http://wiki.fx-com.com/2008/01/post_37.html</link>
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<pubDate>Tue, 01 Jan 2008 03:08:33 +0900</pubDate>
</item>
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<title>守株　株を守る</title>
<description><![CDATA[周（西周）の時代の宋の国に、ひとりの農夫がいました。<br /><br /><br />


彼が畑を耕していると、一匹のウサギが走ってきて、たまたま切り株に追突し、ウサギはむち打ち症で頓死しました。<br /><br /><br />


農夫は労せずしてこの一匹のウサギを得ることができました。<br /><br /><br />


このできごとに味をしめた農夫は、それ以後切り株の番ばかりするようになったのですが、二度とうさぎを手に入れることはできず、人々から物笑いの種にされてしまいました。<br /><br /><br />


守株（あるいは「株を守る」）という故事の意味は、世の中の推移に従わず、ふるい慣習を守るという意味ですが、これには時代的背景があります。<br /><br /><br />


周の武王に滅ぼされた殷王朝の子孫は宋国に封ぜられたのですが、彼らは亡国の民だということで馬鹿にされたり、間抜け人間扱いされました。<br /><br /><br />


この「守株」や「助長（これも舞台が宋の国になっている）」などという故事はこのような背景だからこそ生まれたものだということです。]]></description>
<link>http://wiki.fx-com.com/2007/12/post_36.html</link>
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<pubDate>Sat, 29 Dec 2007 23:03:26 +0900</pubDate>
</item>
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<title>塞翁が馬</title>
<description><![CDATA[国境の塞（とりで）の近くに住む老翁がいました。彼は馬を飼っていたのですが、その馬が逃げ出して、塞の北側の異民族の地に逃げてしまいました。<br /><br /><br />


昔、馬は大切な財産ですから老人はたいへん悲しみました。<br /><br /><br />


しかし数ヶ月ののち、その馬が北の地の名馬を連れて戻ってくるという幸運に恵まれます。<br /><br /><br />


よかったよかったと喜んだ老翁でしたが、今度は老翁の息子がその名馬に乗っているときに転げ落ち、腿を骨折してしまいます。<br /><br /><br />


一年後、異民族が侵入してきて、若者たちは戦場に駆り出されましたが、老翁の息子は落馬したのが原因で足が悪かったので、戦場にかり出されずにすみました。<br /><br /><br />


異民族との戦いでは１０人のうち９人が戦死するような状態でしたが、老翁の息子は足が不自由だったおかげで戦わずにすみ、命拾いをすることになったのです。<br /><br /><br />


こうした逸話から生まれた故事が「塞翁が馬」というものですが、一般的には「人間万事塞翁が馬」という形で使われます。<br /><br /><br />


人生の禍福や吉凶は予測しがたいという意味です。<br /><br /><br />


出典　「淮南子（えなんじ）」人間訓]]></description>
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<pubDate>Sat, 29 Dec 2007 22:46:52 +0900</pubDate>
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